2014.08.06 カテゴリー:
滝川2yearsトリプルジャンパー JUMP ―教員×卒業生対談― 完全版

安田義明先生(教授)×
山内千奈苗さん(国文科5期生)×船越ほのかさん(国文学科2年)×土本優希さん(国文学科1年)

受け継がれていく國短DNA

安田先生

安田私たち、実は同期なんだよね。山内さんは私が初めて教えた
学生のひとりでね。最初に担当した学生というのは、今でもよく覚えているものなんだ。
私も当初は5~6年のつもりで短大にきたのだけれど、あっという間にあと4年で定年だよ。

山内着任されて、短大にはどのような印象を持たれましたか?
当時は女子短大でしたよね。

安田素朴な学校という印象かな。「女子」短大という雰囲気はなかったから馴染みやすかったよ。今は男子学生もいるけど、あまり変わらないね。
当時から変わらないといえば、今でも授業の座席は前から埋まっていくよ。

船越そうですね、いつも競争です。授業が終わると真っ先に次の授業の座席をとりに行きます。

土本鞄を置いて席を確保してはじめて、ゆっくり休憩できます。

山内授業に対する熱意は変わっていないんですね。
私は短大に入学する直前まで、大学進学は考えていなかったんです。ところが、目指していた進路が叶わなくなってしまって、残ったのは短大進学の道だけ。両親はとても心配していましたが、私は大好きな国語を勉強できることに心躍らせていました。本当は一番やりたかったんです。だから少しでも多くのことを吸収したくて、勉強は人一倍頑張っていたと思います。

安田いつも一番前で授業を受けていたのを覚えているよ。
入学したときから太宰について勉強したいと言っていたよね。

山内はい。高校時代から太宰治が好きでした。優等生である自分とそれでは満たされない自分に板挟みになっていたんですね。そんなとき、太宰の作品がとてもしっくりきて、どんどん惹きこまれていきました。

安田今はあまりいないけれど、当時は入学前から研究テーマを決めて入ってくる学生が多かったね。そして、太宰はとても人気があった。ゼミ生の半分が卒論のテーマを太宰にした年もあったくらいだよ。

「学べば学ぶほどに、さらに学びたいことが出てくる。これが勉強なんだなぁと感じました」(山内)

山内さん

山内高校時代は、恥ずかしくて太宰が好きと周りの人には言えませんでした。
気軽に文学の話をするような環境もなかったですね。ところが、短大に入学してみると太宰ファンがとても多くて。恥ずかしさなんてどこへやら、授業や ゼミで太宰の世界をより深く味わうことができました。私の求めていたものはここにあると感じました。

安田でも結局、卒論は太宰にしなかったんだよね。

山内はい、太宰の弟子の田中英光という作家について書きました。
                 
安田全集までそろえていたよね。

山内田中英光の全集はなかなか見つからなかったんですが、本屋さんをやっている親戚に頼んで探してもらいました。
田中英光はもともとオリンピックのボートの選手だったんですよ。選手時代のことなんかを題材とした私小説作家で、決して文章がうまいわけではないのですが、全身で書いている感じに魅かれました。

安田その「全身で」一生懸命になっている感じ、なんだか山内さんに似ているような気がするな。
何にでも熱心に取り組んでいた姿が思い浮かぶよ。運動部にも入っていたよね?

山内はい、入学当初はバレー部に所属していました。顧問の先生にスカウトされまして。
ですが、バレーの練習が辛くて国語の勉強どころではなくなってしまったんですね。私は国語の勉強をするために短大に入ったのに、なんでバレーに振り回されているんだろうと。きっぱりバレー部は退部して、文芸部を創設しました。安田先生に顧問になっていただきましたね。

山内さんの学生時代

安田そうそう、当時は文芸部がなかったんだよね。
今でもあるけど、創設時が一番熱心に活動していたように思うよ。機関紙を年に4回発行するんだよね。

山内私も小説を発表しました。
船越さんは、創作活動をしているんでしょう?

船越はい、児童文学の創作ゼミに入っています。

山内高校時代から国語が得意だったもんね。絵も上手だったね。

船越児童文学は両方生かせて楽しいです。
文学賞とかコンクールに応募するよう先生方がすすめてくださるので、課題に追われています。

安田創作ゼミの人たちはコンクールに積極的に応募しようという方針だからね。

船越今はスポーツがテーマの作品を書いています。児童文学なので、小学生や中学生向けの作品です。昔バドミントンをしていたので、そのことについて書いています。

山内船越さんは国語が好きだったから、短大に入学するって聞いたときは納得したけど、土本さんは正直なところ意外だったな。

土本そうだったんですか(笑)
私自身も漠然と専門学校に行こうかと考えていました。
でも、吹奏楽部で同じパーカッションを担当していた船越さんが短大に入られて、とても楽しいとおっしゃっていて。完全に先輩の影響で入学しました。
今も隣の部屋に住んでいるので、とても心強いです。

山内隣同士!それは安心だね。
吹奏楽が盛んな学校だから、その絆はとても強いのでしょうね。
でも、私も学生時代そうだったんだけど、古文とか漢文とか、大変だったんじゃない?商業高校ではあまり勉強しないものね。

土本そうですね。その点は本当に授業についていくのが大変です。
でも、先輩に助けてもらいながら頑張っています。
私も先輩同様、児童文学の創作ゼミをとっているのですが、今はそれがとても楽しいです。

安田こうして教え子の教え子が入学するというのは感慨深いね。長く勤めている者の特権だ。
ところで、山内さんはどんな教師なのかな?

船越良い意味で放っておいてくれるというか、生徒の自主性に任せてくださいます。
ガミガミ言われたりしないので、何でも気軽に相談できる先生でした。

土本先生の授業では、毎時間「恐怖の漢字テスト」というのがあって。
5点満点なんですが、学期ごとに平均2.0点を切ると、休み中に補講を受けなくてはならないんです。それだけは避けたくて、いつも一生懸命勉強していました。

安田なるほど、山内さんの授業、興味深いね。
山内さんはどうして教師の道を選んだのかな?

「国語がすき」だから選んだ道の先にあったもの

山内私は、短大入学時は編入を考えていませんでした。2年間だけという約束で、両親に許してもらいましたから。ところが、いざ入学してみると国語の勉強をすることが楽しくて楽しくて。知らないことを学ぶ楽しさに夢中になってしまいました。そこで、もっと勉強を続けるために編入しようと決心して、「先生になりたいから」と言って両親を説得したんです。そのときは真剣に先生になることを考えていたわけではありませんでした。

安田当時は編入の枠が狭かったから、基準をクリアするのは大変だったでしょう。

山内そうですね。厳しかったです。船越さんたちのように創作活動をしたり、短大で教職課程もとりたかったのですが、両立は無理だから編入の勉強一本に絞りなさいと言われました。それから本当は図書館司書の勉強がしたかったです。昔から本が好きで、本に囲まれる生活に憧れていたので、図書館司書は夢のような環境だなと。でも残念ながら当時の短大には司書課程はありませんでした。

安田田中英光だけでなく太宰治の全集まで揃えたと聞いたときは驚いたけど、本当に本が好きなんだね。

山内短大を卒業する時にもっと勉強したいと編入の道に進みましたが、4大卒業時もそれは変わらなくて、もっと国語を勉強したい、国語に携わりたいと思ったんです。それで選んだ道が国語教師でした。

安田今も昔も、短大2年間だけのつもりで入学してくる学生の集中力・緊張感には凄まじいものを感じるよ。勉強に対してとても貪欲なんだ。
今のご時世、2年間だけなら専門学校、経済的に余裕があれば4年制大学を選ぶ人が多くなっているようで、短大という選択肢を選ぶ人が少なくなっているかもしれないね。でも、我々はそういう学生をとても大切に思っているよ。
2年間ここで集中して勉強すれば、その先の選択肢も広がるんじゃないかな。

安田先生と生徒たち

山内私もそう思います。教え子たちには、自分のやりたいことをやってほしいと願っているんです。私自身がそうであったように、周りの期待や経済状況で他の道を考えることもあると思いますが、やりたいことがあってやれる環境があるのであれば、是非チャレンジしてほしいです。
私の場合は、短大で学べることは全部学んでやろうと思って2年間を過ごして、それが本当に楽しかったんです。だから、もっともっと勉強したいとつき進んでいった結果、教師という職業に辿り着きました。一見遠回りに見える道であっても、やりたいこと・楽しんでできることに挑戦してほしいですね。私は今でもこうして本に囲まれて国語漬けの毎日を送れることに、幸せを感じています。